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大阪高等裁判所 昭和41年(行コ)25号 判決 1970年6月02日

兵庫県姫路市四郷町上鈴二八八番地

控訴人

畑梶之助

同所

控訴人

畑はつ子

同所

控訴人

畑義勝

同所

控訴人

畑文子

同所

控訴訴人

畑幸子

同所

控訴人

畑米子

同所

控訴人

畑みのり

右法定代理人親権者父

畑修

同母

畑タマ子

兵庫県姫路市四郷町山脇二四八番地

控訴人

畑はるゑ

同所

控訴人

畑曻江

兵庫県姫路市四郷町上鈴三二九番地の五

控訴人

畑修

同所

控訴人

畑タマ子

右控訴人一一名訴訟代理人弁護士

栗岡善一郎

兵庫県姫路市本町六八番地

神飾税務署長職務承継者

被控訴人

姫路東税務署長上山馨

右指定代理人検事

上野至

同法務事務官

葛本幸男

同大蔵事務官

河合昭五

村上睦郎

右当事者間の所得税更正処分取消等請求控訴事件について、当裁判所は昭和四四年九月一七日終結した口頭弁論に基づいて、次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

控訴人らは、「原判決を取消す。被控訴人が控訴人畑梶之助の昭和三五年度分所得税について、昭和三六年一二月二七日付でした更正処分中同控訴人の譲渡所得金額を二五三、〇〇三円をこえて決定した部分を取消す。被控訴人が控訴人畑梶之助を除くその余の控訴人ら(以下控訴人畑はつ子外九名という。)の各昭和三五年度分贈与税について、それぞれ昭和三六年一二月二三日付でした更正処分中右各控訴人の贈与取得金額を五、五二七円をこえて決定した部分を取消す。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の主張及び証拠関係は、次に付加するほか、原判決事実摘示と同一(但し、原判決四枚目表四行目の「二五日」とあるを「二七日」と、同五枚目裏末行の「六九」とあるを「六七」と、同六枚目表一行目及び九行目の各「六九万」とあるを「六七万」とそれぞれ訂正する。)であるから、これを引用する。

(控訴人らの主張)

大阪国税局「昭和三五年分相続税財産評価基準」によれば、贈与による譲渡所得に対する所得税及び贈与税の課税標準の基礎となる贈与物件の価額は、本件土地の如く畑自作地の場合、次の算式によつて、評価すべきことになつている。即ち、

(近傍宅地の坪当り評価額×92%-280円)×坪数

ところで、本件土地の昭和三五年度の評価額は、坪当り一、〇〇〇円であつたから、これを右算式に代入して算出すれば、本件土地に対する控訴人らの各共有持分(全体の二二分の一)の価額は一七、三二八円八〇銭となる。

<省略>

したがつて、本件課税は、控訴人らが原審以来主張した各評価方式によるか、あるいは右金額によつてなさるべきものである。

(証拠関係)

控訴人らは、甲第九ないし第一九号証を提出し、当審における証人石原信一、坂本稔男(第一、二回)、藤原勢二、武宮匡男の各証言並びに控訴人畑義勝の本人尋問及び検証の各結果を援用し、乙第二号証の一、二の成立を認めた。

被控訴人は、乙第二号証の一、二を提出し、甲第九号証の成立は不知、甲第一〇ないし第一九号証の各成立は認めると述べた。

理由

一、本件土地(兵庫県姫路市花田町一本松宇宮ノ前四三七番の三宅地一八〇坪六合及び同所同番の四宅地四一五坪八勺)はもと川口敬治と控訴人畑梶之助の共有(持分各二分の一)であつたところ、同控訴人は控訴人畑はつ子外九名に対しそれぞれ右持分中一一分の一ずつ(本件土地全体の二二分の一ずつの持分)を贈与し(したがつて、控訴人畑梶之助の持分も二二分の一となつた。)、当時右土地の地目が畑であつたので、県知事に対し農地法五条により農地転用許可の申請をし、昭和三五年一二月七日その許可があり、同月九日右土地の各二二分の一の持分につき控訴人畑梶之助から控訴人畑はつ子外九名に対しそれぞれ右贈与による所有権移転登記がなされたことは当事者間に争がなく、右贈与契約のなされた日時が昭和三四年五月一二日であることは、成立に争のない甲第一号証、第二号証の三、原審証人畑謙治の証言により認められ、他に右認定を動かすに足りる証拠はない。

昭和三五年一二月一五日、控訴人ら全員及び共有者川口敬治外五名(川口敬治も控訴人畑梶之助と同時期にその持分の一部をその家族五名に贈与していたものである。)は本件土地のうち四三七番の三を神姫産業株式会社に対し代金一、八〇六、〇〇〇円で、同四三七番の四を三菱石油株式会社に対し代金一三、〇八六、〇〇〇円で売渡し、控訴人らがそれぞれその共有持分に対する売買代金を受領したことは当事者間に争がなく、その売買代金の受領額が控訴人畑梶之助は六七六、九二〇円、控訴人畑はつ子外九名は各六七六、九〇八円であつたことは、弁論の全趣旨により認められ、他に右認定に反する証拠はない。

控訴人畑はつ子外九名はそれぞれ昭和三六年三月四日神飾税務署長に対し原判決添付別紙一の<ア>のとおり贈与取得財産の価額を五、五二七円として贈与税の申告をし、控訴人畑梶之助は同月一五日同税務署長に対し右譲渡所得を譲渡価格六七六、九〇九円から必要経費及び所得税法(昭和三五年当時施行のもの。以下同様)九条一項の特別控除一五万円を差し引いた二五三、〇〇三円として昭和三五年度の所得税の確定申告をしたところ、右税務署長は、昭和三六年一二月二三日右贈与税につき、贈与財産価額を原判決添付別紙一の<イ>のとおり六七六、九〇八円と認定して贈与税を更正し、その旨控訴人畑はつ子外九名に通知し、同月二七日、右所得税につき、右譲渡所得を三、六二〇、四二八円と認定して、控訴人畑梶之助の昭和三五年度の所得税を更正し、その旨同控訴人に通知したこと、控訴人らは右税務署長の更正処分を不服として、控訴人畑はつ子外九名は昭和三七年一月二二日右贈与税について、控訴人畑梶之助は同月二五日右所得税についてそれぞれ再調査の請求をしたが、同税務署長はいずれも理由なしとして、贈与税については同年二月二二日、所得税については同年三月二八日、右各請求を棄却したので、控訴人畑はつ子外九名は同月二一日右贈与税について、控訴人畑梶之助は同年四月二七日右所得税についてそれぞれ大阪国税局長に対し審査の請求をしたが、同国税局長は昭和三九年二月一八日右審査請求をいずれも理由なしとして棄却し、その旨控訴人畑みのりには同年一〇月二三日、その余の控訴人らには同年二月二七日それぞれ通知したこと、本訴提起後、神飾税務署が廃止され、姫路東税務署に変更されたことは当事者間に争がない。

二、弁論の全趣旨によると、神飾税務署長がなした控訴人畑はつ子外九名に対する贈与税の各更正処分は、同署長が、控訴人畑梶之助から控訴人畑はつ子外九名に対する本件土地持分の贈与の時を昭和三五年一二月九日、同控訴人らの受贈した本件土地の各持分の右受贈当時における価格を六七六、九〇八円としてしたものであり、控訴人畑梶之助に対する譲渡所得の更正処分は、同署長が、同控訴人の昭和三五年中におけぬ資産の譲渡による総収入金額を本件土地の持分二二分の一を前記三菱石油株式会社等へ譲渡したことによる収入金額六七六、九二〇円と控訴人畑はつ子外九名に対する前記贈与によつて所得税法五条の二第一項の規定により譲渡があつたとみなされた資産の価額六、七六九、〇八〇円(右贈与の時期を昭和三五年一二月九日、その時の控訴人畑はつ子外九名の本件土地に対する各二二分の一の共有持分の価額を六七六、九〇八円としたことは前同様)との合計七、四四六、〇〇〇円と認定し、これから再評価額三四、二四〇円(昭和三五年当時施行の資産再評価法九条)と譲渡経費二〇、九〇三円(所得税法一〇条の四)とを控除した七、三九〇、八五七円を資産の譲渡による所得とし(同法九条一項八号)、更にこれから一五万円を控除した金額に一〇分の五を乗じて所得税の課税標準となる譲渡所得金額三、六二〇、四二八円(同法九条一項本文)を算出してしたものである(原判決添付別紙二参照)ことが認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。したがつて、右各更正処分が本件土地持分の贈与を本件土地の売買代金の贈与と誤つて認定してしたものであるとの控訴人らの主張は採用できないこと自ら明らかである。

三、前認定のとおり、控訴人畑梶之助から控訴人畑はつ子外九名に対する本件土地持分の贈与契約のなされたのは昭和三四年五月一二日であるが、当時本件土地は農地であつたから、右贈与により直ちに権利は移転せず、控訴人畑梶之助が農地法五条により県知事に対し農地転用のための権利移転の許可申請をなし、県知事からその許可のあつた前記昭和三五年一二月七日に右贈与による本件土地持分権移転の効力が発生したものというべきであり、所得税法五条の二第一項及び相続税法二二条(いずれも昭和三五年当時施行のもの)にいわゆる贈与財産の時価を評価するについての基準時となるべき贈与の時というのは、右の如く農地を転用のため贈与した場合には、特段の事情がない限り、贈与による権利移転の効力が発生する農地法五条による県知事の許可があつた時を指すものと解すべきであるから、本件の場合贈与の時は前記県知事の許可のあつた昭和三五年一二月七日とすべきところ、前記のとおり神飾税務署長が本件贈与の時を同月九日と認定しても、右一二月七日と同九日とのわずか二日の相違は、本件土地の時価の算定上なんら影響を及ぼすものではないから、右二日間の相違をもつて本件各更正処分を違法視することはできず、右税務署長が本件各更正処分につき本件贈与の時を昭和三五年一二月九日と認定したことは結局相当であつて、なんら違法の点はないことに帰する。この点に関する控訴人らの主張は失当である。

四、成立に争のない甲第一号証、第二号証の一ないし三、第三、第四号証、第一〇号証、乙第一号証の一ないし四、第二号証の一、二、原審証人畑謙治、須藤正、原審及び当審証人石原信一、当審証人武宮匡男の各証言並びに当審における検証の結果を総合すれば、一般に、昭和三五年当時、大阪国税局としては、贈与による譲渡所得に対する所得税又は贈与税の課税標準の基礎となる贈与財産たる土地の価額の評価については、(一)当該土地の賃貸価格に一定の倍率を乗じて評価する方法、(二)いわゆる路線価方式(都市の路線に面した土地について売買実例を集め、これで標準地価格を求めて、その各土地に面している路線に路線価を設け、これによつて附近の土地の価額を評価する方法)、(三)特別事情で土地価額が高騰したような場合には、当該土地につき贈与の時期に近接した時期に売買が行われたときは、その売買価格、当該土地につき売買が行われなかつたときは、状況類似の近傍土地の売買価格もしくは精通者の意見による価格を基として個別評価する法を併用していたが、神飾税務署長が、控訴人らの前記納税申告について調査したところ、本件土地は国道二号線に面し、昭和三五年頃には急に地価が高騰したため、賃貸価格に一定の倍率を乗じて評価する方法で本件土地の価額を評価することは不適当な状況にあり、当時本件土地には路線価が定められていなかつたのみならず、本件贈与の時である昭和三五年一二月七日に近接した時期に本件土地が売却され、右売買については控訴人らと売却先である三菱石油株式会社等との間に、すでに相当以前から本件土地の売買の交渉が進められ、昭和三五年九月頃には本件土地の売買価格が決められていたものであるとの事情も認められたので、同署長としては、控訴人畑梶之助の前記みなし譲渡価格及び控訴人畑はつ子外九名の受贈財産価額の査定については、大阪国税局長の指示に従い、前記(三)の個別評価の方法を採用し、本件土地につきなされた前記売買価格たる一四、八九二、〇〇〇円をもつて本件土地の前記贈与当時における時価と認定して前記各更正処分をしたものであること、本件土地の右売買価格は当時として他に比較して特に高いものではなく、相当なものであつたこと、控訴人らの前記納税申告について、神飾税務署長が格別の指示をしたことはないことが認められ、原審証人永田利雄の証言中右認定に副わない部分は前掲証拠に照らし信用し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定事実によれば、神飾税務署長が本件土地の前記売買価格により前記贈与当時である昭和三五年一二月七日における本件土地の時価を査定して、本件各更正処分をしたことは、相当であつて、右税務署長が本件土地の右時価を控訴人ら主張の方法で認定しなかつたからといつて、本件各更正処分が違法であるとすることはできないから、この点に関する控訴人らの主張は採用できない。

五、そうであれば、右税務署長がした本件各更正処分は相当であるとせざるを得ないから、その一部取消を求める控訴人らの本訴請求はいずれも失当であつて、これを棄却した原判決は相当である。

そこで、民訴法三八四条、九五条、八九条、九三条一項本文を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 金田宇佐夫 判事 中川臣朗 判事輪湖公寛は転補につき署名捺印することができない。裁判長判事 金田宇佐夫)

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